世界のサーフィンの流れ
◆サーフィンの近代化とスーパースター達

1950年頃アメリカで初めてサーフボードに高質ウレタンフォームが使われた。それによって、今までの約25kg程もあったウッドボードに比べ約半分の13kgまで軽減され、長さも4.5Mから3Mに短縮された。50年代後半、カリフォルニアで巻き起こったサーフィンブームは、ビーチボーイズ、ベンチャーズの軽快なビートに乗って1955年には全米へと広まっていった。学科の一部に取り上げるハイスクールまで現れた。
マリブビーチで”波乗りの神様”と言われたミッキー・ダラ、サンタクルーズで”デューク(公爵)”の称号で呼ばれたコーキー・キャロル、ハンティントンビーチの”スーパースター”デビッド・ヌワヒはヒーローであった。そしてあの映画「エンドレス・サマー」が、1960年に上映された。出演者のマイク・ハンスンは映画スターへの道も約束されるが、サーフィンを愛してるとサンディエゴのバーンサーフボードファクトリーでシェーパーとしての道を選ぶ。
オーストラリアにもサーフィンブームの波は訪れ、急速にレベルアップしていった。ナット・ヤング、ミジェット・フェラリー、キス・ボウル、ボブ・マクタビッシュが名を馳せる。彼らは突然ハワイに出現し、マカハやサンセットのビッグウェーブを難無く乗りこなして見せ、地元のディック・ブルーやフレッド・ヘミングス。ポール・ストラッチらを驚かせた。ナットは当時、カリフォルニアの世界最大のファクトリー”ドウ・ウクウエバー”の、キスは”ビンブサーフボード”のテストライダーとしてそれぞれ活躍していた。

◆サーフィンの発展と日本の課題

サーフィンの始まりから4000年近く経った現代。サーフィンは世界の至る所に広まり、それぞれ国独自のサーフィンスタイルが確立していった。サーフィン王国のハワイは、一時はその名をオーストラリアに奪われ、カリフォルニアではサーフボードビジネスが低迷し、次世代の選手が育たないという不運に見舞われた。
一方1977年彗星のように現れ世界チャンピオンになったショーン・トムソンはルックスの良さも手伝って一躍”南アフリカの大スター”となり、国から勲章を授与されるに至った。この南アフリカのように国全体がサーフィンに対して理解を深めれば、サーフィンの発展は容易だろう。
我が日本は、波は小さいながら、四方を海に囲まれ少ない移動で変化に富んだポイントに出会える、という利点を持つ。気候的にも近年のウエットスーツの発展等で一年中サーフィンをする事も可能となった。70年代後半の第一次サーフィンブームに始まり、波のように幾度なくブームは訪れ、その度にファッションは洗練され、技術や道具はさらなる進化を遂げ、また世界へと羽ばたくスターも育ちつつある。国情に応じ、またここ茅ヶ崎のように地域との融合を図りながら、変化し発展して行く事を願う。絶え間なくくり返す波のように…。


(取材協力:ゴッデスインターナショナル代表 鈴木 正氏、著書:講談社出版『サーフィン』より)

ホームへ トップへ
キャッチコピー
Copyright(C)2007 CHIGASAKI SURFING INDUSTRIAL UNION.All Rights Reserved.