◆若者文化とサーフィン

あらゆるカルチャーがアメリカからやってきた1960年代。サーフィンも例外でなく、全国でも有数のリゾート地として知られるこの湘南にサーフィンが持たらせた事により、急速に全国に広まって行く事となる。それには加山雄三や尾崎紀世彦ら湘南を代表するスターが大きく関わっていた。特に茅ヶ崎で「雄三通」と通り名になっている若大将加山雄三氏は、木製サーフボードを自作し茅ヶ崎で遊んでいたが、その時の姿を新聞が紹介し、刺激された湘南の若者達が次々とサーフィンに魅了される事となったのである。スター達と湘南の若者の遊び文化として、最先端カルチャーであり、最新ファッションである現代スポーツとしてマスコミがこぞってサーフィンを取り上げ、爆発的流行として瞬く間に全国にも広まり、現在のように定着していく事になった。

同時に全国各地にサーフィンクラブが生まれ、連盟等各団体も設立される。盛んにコンテストが開催されるようになると、そこで技を競い合う事によりスポーツとしての地位を確立すると共に、サーフィンボードを始め様々なギアも研究開発され、さらなる発展と進化を遂げてきた。

◆茅ヶ崎の海は音楽とサーフィンの生みの親

様々な意味で茅ヶ崎はカルチャーに満ちている。茅ヶ崎をテーマにした音楽の影響は大きい。一躍そのイメージをクローズアップしたのが茅ヶ崎で生まれ育ち、彗星の様に現れ瞬く間に日本のポップミュージックシーンを引率し、そして今もなおヒット曲を絶やさない桑田圭介率いるサザンオールスターズであろう。サザン通り、サザンビーチ…至る所にその功績を讃えるように命名されている。しかしながら彼らがその全てではなく、むしろ刺激された一人であっただろう。茅ヶ崎で生まれ、ここで共に歩んで来た数多くのミュージシャンが築いたカルチャーが、感性豊かなアーティストを生む土壌になったのではないだろうか。時は1960年代、当代きってのムービースター加山雄三が熱唱するシーサイドシーン、また70年代に最盛を迎えるニューミュージックのカリスマ、ユーミン。彼女の発表された「ご当地ソング」に登場したのは、まさに「茅ヶ崎ゴッデス」なのだ。茅ヶ崎のカルチャーは、ミュージック=海=サーフィンと言っても過言ではないだろう。
かつて象徴的に建っていた"パシフィック・ホテル茅ヶ崎"も多くの文化を産み出したが、今は残念な事に取り壊され存在しない。しかし、ユーミンこと呉田軽穂名で作詞された「HOTEL PACIFIC」が湘南が生んだ偉大なミュージシャン「ブレッド&バター」の曲として歌い継がれ、人々の記憶に残される事となる。

   
サーフィンが単なる競技やマリンスポーツに終わらず、そのファッション、ミュージックそしてライフスタイルにも影響を与えたり、新たな流行を産み出した事で多くの若者の心を掴み、今日の発展に至っています。本組合は茅ヶ崎のサーフシーンを産み出し、その発展に大きく関わって来たショップや企業で構成される団体です。スポーツとしてのサーフィンに加え、茅ヶ崎のカルチャーや産業として、またこれからの人類の課題となる環境問題に対し海のスペシャリストとして、事業活動を行い貢献して行く事を本組合の使命と考えます。

(取材協力:ゴッデスインターナショナル代表 鈴木 正氏、著書:講談社出版『サーフィン』より)
(取材協力/写真提供:ホームページ「WONDERFUL HOUSE」及び「ワンダフルハウス図書館」
       管理者 糸井寿史氏 http://www5a.biglobe.ne.jp/wo-house/

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